これはルー語のメモ。学校なんてなかったけど、お父さんが教えるんだそう。
だから彼らは今でもルー語を話し、文字を書く。
食事は、みんなで作って、囲んで食べる。
これはルーの料理だよってみんな言う。ラオ料理とは違うとか(そっくりですけど)笑。
そんな村の暮らしは、普通のことだと思っていた。
カンボジアで、今日知ったこと。
内戦の混乱の中で、クメール語は変わり、簡略化され
食事を作る、そんな日常さえもままならない時代を経て
クメール文化は変わってしまった。
例えば、何でも食べられればいい。
だから今のカンボジアに料理と呼べるものは無いのかもしれない。
なんでも簡単に炒めたり煮たりするだけ、味付けも全部一緒。
砂糖だけをやたら使う。※語弊があったらごめんなさい。
だから、戦乱の中でもその民族の独自性を、文化を、
守れたラオの人々は、少しだけ幸せなのかもしれない。
ラオス、「ラーオ」とは彼って言う意味のラオ語。
それに英語の複数形の「S」が付いて「彼ら達」という、
多民族国家を表したなんて聞いたことがあったけど、本当にそうなのかもしれない。
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