ラオにきてから半年が経って、あっけなく、30歳になった。
今年の2月28日は満月で、ワンシン(仏陀の日)。
寺で祈り、住んでる村ではみんなが祝福をしてくれた。嬉しかった。
ルアンパパンに来て2週間。
家はナサンウェイという村。大学の近くで村の8割は地方からの学生。
アパートにはお湯は無いけど、水瓶に溜めた水で風呂や洗濯その他全てまかなえる。
家賃は年間250ドル。
毎日、朝はメコンの朝日、帰りは夕陽を横目に自転車で30分のシェンレック村へ通っている。
工房での仕事は染色、紡ぎ、織り、販売、手伝いながら学んでいる。
やっとやりたいことが出来るようになった。まだまだ問題もたくさんあるけど、普通に暮らしている。
ターダム(工房のオーナー)にも出会うべくして出会ったんだなと思う。
彼女に初めて会った時、この人好きだなって直感で思った。
同い年だけどメチャメチャはっきりしっかりしていてラオ人じゃないみたい。
ドイツに留学もしていて英語は超流暢に話すし
まさかの、ラオ料理が食べられない。
まじに。辛いものや香草を食べるとおなか壊して寝込む。。
彼氏はドイツ人で、彼女を追っかけてラオに移住してしまった。
この人もいい奴で、私たちは外人永住組として何かと助け合っている。
ワタシはそのうち工房に住むと思うけど
ラオでは外国人がラオ人の家に泊まることは違法。
村長の許可を取ったり、警察に届けたりしなくてはいけないので道は遠い。
まああせらず。気長に。
日本を寂しく思わないかっていろんな人に言われるけど、それはない。
でも、日本語はね、話したいし、聞きたいと切に思う。my nationality
日々、ギャラリーと工房に来る客とは英語。通常の生活はラオ語。
ラオ語と英語で夢を見て、起きてから日本語で考える。
明日から10日ばかり、ヴィエン経由南部のサラワンへ行く。
JICAの対象村を見学させてもらえることになった。
夢が少しずつ現実になっていく。ありがとう。
20100216
20100212
20100114
140110
この数日。異常な寒さが続く。
標高1200メートルのここサムヌア。
3日間15度以上に気温が上がっていない。朝晩は10度のときも。
窓があっても閉まらない、隙間風だらけのラオスの家は
部屋の中も外気と変わらず。
ドアの無い家もあるし、有っても閉める習慣は無いから
まさに外。暖房器具はもちろんなし。
こんな日はどの家々も、家族で居間に集まり、
カオニャオを炊く練炭を囲み、一日おしゃべりして過ごす。
(外気吹き抜けだから自殺しちゃう可能性は有りません)
で6時過ぎに陽が落ち真っ暗になる頃、
ラオラオ(ラオス酒45度以上)をまわし飲み始め
流行の音楽が大音量でかかり出し、踊ることになる。
っていっても歌謡曲的なリズムにただ立ってゆらゆらするだけ。
いとしすぎる。
ここにちょっとずつ慣れていく。
ここの人々の暮らし、考え方、価値観、コミュニティ主義のこと
まだまだだけど、こうして日がな一日一緒にいて、
もっと分かりたいと思う。
言葉や暮らしというのはそのあとをついてくるのかな。
気候とは逆に、穏やかな気持ちで暮らしている。
3ヶ月、この時点で振り返っただけで
言葉にできない思い、数々の出来事、いろんな人。
嫌なこともされる、理不尽な扱いも、差別も、誤解も、うそも、
数えたくないくらいある。
それでも一方でこの国に、この人達に助けられ、
愛されて、救われたことも数知れない。
そう、好きだけでは暮らせないことは良く分かった。
でも、まず好きでなければ暮らしていけない。
そしてやっぱりワタシここが好きだ。
今、ここにこれたこれまですべてのことも、
全部含めて好きだって言えるようになった。
これからも、ここで1人の外人、そして日本人として生きていきたい。
標高1200メートルのここサムヌア。
3日間15度以上に気温が上がっていない。朝晩は10度のときも。
窓があっても閉まらない、隙間風だらけのラオスの家は
部屋の中も外気と変わらず。
ドアの無い家もあるし、有っても閉める習慣は無いから
まさに外。暖房器具はもちろんなし。
こんな日はどの家々も、家族で居間に集まり、
カオニャオを炊く練炭を囲み、一日おしゃべりして過ごす。
(外気吹き抜けだから自殺しちゃう可能性は有りません)
で6時過ぎに陽が落ち真っ暗になる頃、
ラオラオ(ラオス酒45度以上)をまわし飲み始め
流行の音楽が大音量でかかり出し、踊ることになる。
っていっても歌謡曲的なリズムにただ立ってゆらゆらするだけ。
いとしすぎる。
ここにちょっとずつ慣れていく。
ここの人々の暮らし、考え方、価値観、コミュニティ主義のこと
まだまだだけど、こうして日がな一日一緒にいて、
もっと分かりたいと思う。
言葉や暮らしというのはそのあとをついてくるのかな。
気候とは逆に、穏やかな気持ちで暮らしている。
3ヶ月、この時点で振り返っただけで
言葉にできない思い、数々の出来事、いろんな人。
嫌なこともされる、理不尽な扱いも、差別も、誤解も、うそも、
数えたくないくらいある。
それでも一方でこの国に、この人達に助けられ、
愛されて、救われたことも数知れない。
そう、好きだけでは暮らせないことは良く分かった。
でも、まず好きでなければ暮らしていけない。
そしてやっぱりワタシここが好きだ。
今、ここにこれたこれまですべてのことも、
全部含めて好きだって言えるようになった。
これからも、ここで1人の外人、そして日本人として生きていきたい。
20100105
20091220
20091206
091206
興味深い、良い出会いがあった。
この1週間ばかし南に布を見がてら旅をしていた。
最終日のVCNに戻るバス(まあいつもの10時間超え長距離)
40代くらいのラオ人と思われるカップル。
男性は英語で近くに座ったBPと話していた。
休憩のときワタシがイスラエル人BPの子としゃべっていたら
メンタマ飛び出させてこっちにきて
「北部の少数民族なのに英語が上手い!!!」
と言ってきた。。
あのーラオじゃないです。日本人です。
またまた仰天していたけど。
そんなこんなでなんだか話してたら
ラオス語がちょっとおかしい。
聞いたら実は37年ぶりの帰国だという。
そう、74年の革命の年
新政府を恐れ家族とともにフランスへ逃げたのだと
小さな声で話してくれた。
そしてフランスで教育を受け、ベトナム人と結婚し
やっと、生まれた国に帰ってきたのだという。
深夜のバスだったからあまり話さなかったけど
宿を同じGHに紹介して、今からビールを飲みにいってくる。
外国であるここに永住を決め込んだワタシと
帰りたくても帰れなかったし、
もう言葉忘れかけ、環境も変わってしまった生まれた国に戻ってきた彼。
時代は変わっていくかもしれないけど
それぞれの人生の、それぞれの心を見ている気がしてる。
この1週間ばかし南に布を見がてら旅をしていた。
最終日のVCNに戻るバス(まあいつもの10時間超え長距離)
40代くらいのラオ人と思われるカップル。
男性は英語で近くに座ったBPと話していた。
休憩のときワタシがイスラエル人BPの子としゃべっていたら
メンタマ飛び出させてこっちにきて
「北部の少数民族なのに英語が上手い!!!」
と言ってきた。。
あのーラオじゃないです。日本人です。
またまた仰天していたけど。
そんなこんなでなんだか話してたら
ラオス語がちょっとおかしい。
聞いたら実は37年ぶりの帰国だという。
そう、74年の革命の年
新政府を恐れ家族とともにフランスへ逃げたのだと
小さな声で話してくれた。
そしてフランスで教育を受け、ベトナム人と結婚し
やっと、生まれた国に帰ってきたのだという。
深夜のバスだったからあまり話さなかったけど
宿を同じGHに紹介して、今からビールを飲みにいってくる。
外国であるここに永住を決め込んだワタシと
帰りたくても帰れなかったし、
もう言葉忘れかけ、環境も変わってしまった生まれた国に戻ってきた彼。
時代は変わっていくかもしれないけど
それぞれの人生の、それぞれの心を見ている気がしてる。
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