昨日は朝から外が騒がしいと思っていたら。
昼の11時過ぎ、村の商店のアーイが来て、みんなでビール飲むよって言う。
外に出たら、向かいの家が新築完成し、子供も生まれたということで、
パーティを開いていた。盛大。生バンドとカラオケ有りの結構な規模。
料理は、カオプン(ココナツスープのピリ辛そうめん)とラープ(ひき肉サラダ)と
ヤムサラット(生野菜と香草、ゆで卵、トマト、サウザンソースに似たドレッシングのサラダ)
もちろんビヤラオ飲み放題。
そんなこんなで昨日は飲みっぱなし。
でも確か水曜日、平日のまっ昼間に、老若男女、
近隣の村からも含め、多分100人位が飲み踊る。
でもって学生達は散々ビール飲んでから
さくっと午後の授業に行くとさ。不思議な社会。
そういえばお肉とお魚を食べなくなって2ヶ月くらい経つ。
ただ要らないなと思っただけ。10代後半から23くらいまで、
同じ状況だったけど、また必要なくなったようだ。
でもワタシ、多分だけど、こういう時期の方が草食系とは程遠い、
かなりストイックな状態だってことを思い出したりしてる。
ピーマイの準備で街中が浮き足立っている。
20100319
100319
乾季が終わろうとしている。
朝晩の短い雷雨と不思議な色の夕焼け。
シェンレックに通うことを止めた。
オーナーである彼女と感覚が、やり方が違っていた。
彼女を、そのデザインを感性をリスペクトしている事に変わりは無いけど
一緒には作業を出来ないっていう結論に達しただけ。
2人で話し合って決めた。
彼女とはワタシが自分のやり方で出来るようになったとき、
また会う気がする。これもいい経験。
正直、あまり余裕がなくなってきたけど、また自分の道を探す。
まあ住む家があるだけでも心強い。
新築だったワタシのアパートにもやっとヤモリが住み着いた。
そしてさっき鳴いていた。嬉しい。
ラオではヤモリが家に住んで、鳴くと更に幸運だと信じられている。
村での生活は良好。
水が来ない日にはバイクに乗ってカーン川へ水浴びに行き
大家さんや村の人達とご飯を食べ、ビヤラオを酌み交わす日々。
ラオ語もだいぶ分かるようになってきた。まだまだ苦労してるけど。
こうして過ぎていく日々はとても緩やかで、暖かい。
4月のソンクラン前にタイから友人が来る。
タイ在住20年の姉さんは大好きな友達の一人。
今バンコクはまた政情に不穏な感じがあるが、大丈夫だろうか。
朝晩の短い雷雨と不思議な色の夕焼け。
シェンレックに通うことを止めた。
オーナーである彼女と感覚が、やり方が違っていた。
彼女を、そのデザインを感性をリスペクトしている事に変わりは無いけど
一緒には作業を出来ないっていう結論に達しただけ。
2人で話し合って決めた。
彼女とはワタシが自分のやり方で出来るようになったとき、
また会う気がする。これもいい経験。
正直、あまり余裕がなくなってきたけど、また自分の道を探す。
まあ住む家があるだけでも心強い。
新築だったワタシのアパートにもやっとヤモリが住み着いた。
そしてさっき鳴いていた。嬉しい。
ラオではヤモリが家に住んで、鳴くと更に幸運だと信じられている。
村での生活は良好。
水が来ない日にはバイクに乗ってカーン川へ水浴びに行き
大家さんや村の人達とご飯を食べ、ビヤラオを酌み交わす日々。
ラオ語もだいぶ分かるようになってきた。まだまだ苦労してるけど。
こうして過ぎていく日々はとても緩やかで、暖かい。
4月のソンクラン前にタイから友人が来る。
タイ在住20年の姉さんは大好きな友達の一人。
今バンコクはまた政情に不穏な感じがあるが、大丈夫だろうか。
20100304
100304
ラオにきてから半年が経って、あっけなく、30歳になった。
今年の2月28日は満月で、ワンシン(仏陀の日)。
寺で祈り、住んでる村ではみんなが祝福をしてくれた。嬉しかった。
ルアンパパンに来て2週間。
家はナサンウェイという村。大学の近くで村の8割は地方からの学生。
アパートにはお湯は無いけど、水瓶に溜めた水で風呂や洗濯その他全てまかなえる。
家賃は年間250ドル。
毎日、朝はメコンの朝日、帰りは夕陽を横目に自転車で30分のシェンレック村へ通っている。
工房での仕事は染色、紡ぎ、織り、販売、手伝いながら学んでいる。
やっとやりたいことが出来るようになった。まだまだ問題もたくさんあるけど、普通に暮らしている。
ターダム(工房のオーナー)にも出会うべくして出会ったんだなと思う。
彼女に初めて会った時、この人好きだなって直感で思った。
同い年だけどメチャメチャはっきりしっかりしていてラオ人じゃないみたい。
ドイツに留学もしていて英語は超流暢に話すし
まさかの、ラオ料理が食べられない。
まじに。辛いものや香草を食べるとおなか壊して寝込む。。
彼氏はドイツ人で、彼女を追っかけてラオに移住してしまった。
この人もいい奴で、私たちは外人永住組として何かと助け合っている。
ワタシはそのうち工房に住むと思うけど
ラオでは外国人がラオ人の家に泊まることは違法。
村長の許可を取ったり、警察に届けたりしなくてはいけないので道は遠い。
まああせらず。気長に。
日本を寂しく思わないかっていろんな人に言われるけど、それはない。
でも、日本語はね、話したいし、聞きたいと切に思う。my nationality
日々、ギャラリーと工房に来る客とは英語。通常の生活はラオ語。
ラオ語と英語で夢を見て、起きてから日本語で考える。
明日から10日ばかり、ヴィエン経由南部のサラワンへ行く。
JICAの対象村を見学させてもらえることになった。
夢が少しずつ現実になっていく。ありがとう。
今年の2月28日は満月で、ワンシン(仏陀の日)。
寺で祈り、住んでる村ではみんなが祝福をしてくれた。嬉しかった。
ルアンパパンに来て2週間。
家はナサンウェイという村。大学の近くで村の8割は地方からの学生。
アパートにはお湯は無いけど、水瓶に溜めた水で風呂や洗濯その他全てまかなえる。
家賃は年間250ドル。
毎日、朝はメコンの朝日、帰りは夕陽を横目に自転車で30分のシェンレック村へ通っている。
工房での仕事は染色、紡ぎ、織り、販売、手伝いながら学んでいる。
やっとやりたいことが出来るようになった。まだまだ問題もたくさんあるけど、普通に暮らしている。
ターダム(工房のオーナー)にも出会うべくして出会ったんだなと思う。
彼女に初めて会った時、この人好きだなって直感で思った。
同い年だけどメチャメチャはっきりしっかりしていてラオ人じゃないみたい。
ドイツに留学もしていて英語は超流暢に話すし
まさかの、ラオ料理が食べられない。
まじに。辛いものや香草を食べるとおなか壊して寝込む。。
彼氏はドイツ人で、彼女を追っかけてラオに移住してしまった。
この人もいい奴で、私たちは外人永住組として何かと助け合っている。
ワタシはそのうち工房に住むと思うけど
ラオでは外国人がラオ人の家に泊まることは違法。
村長の許可を取ったり、警察に届けたりしなくてはいけないので道は遠い。
まああせらず。気長に。
日本を寂しく思わないかっていろんな人に言われるけど、それはない。
でも、日本語はね、話したいし、聞きたいと切に思う。my nationality
日々、ギャラリーと工房に来る客とは英語。通常の生活はラオ語。
ラオ語と英語で夢を見て、起きてから日本語で考える。
明日から10日ばかり、ヴィエン経由南部のサラワンへ行く。
JICAの対象村を見学させてもらえることになった。
夢が少しずつ現実になっていく。ありがとう。
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