20110528

110528

とてもとても良いことも、とてもとても悪いことも、
とてもとても長続きするということは無い。
大好きだった、ダグラス クープランド氏の本にあった言葉。
15か16だったワタシはこの言葉に救われた気がしたけれど、
今思う、
では、どっちでもなく過ぎる日々は、永遠に続くことがあるんだろうか。

食べるものにも、着るものにも困らず、好きなことをしていて、
何が不満なんだろう。
カンボジアだ、カンボジア人だ、というのも
何かのあてつけ?というんだっけ、ほこさきがそこに向いてるだけで
もっとワタシの心の奥にある、何かなのかもしれないと、思う。

昔の記事を見返してたら、ラオに居る頃と
シェムリアップに来てからの内容が、思っていることの視点が、全く違う。
何故。

20110525

110525

少しずつ、前に進んではいるんだけど。
なんか前に進むのもちょっと怖い。
怖がってたって、時は過ぎて、絶対結果は出るんだけどね。
ワタシは、今出来ることは全部やった、とはっきり言える。
もうあとはなるようにしかならんね。
本当は、安心したい。

20110520

110520

奇跡だ。とても嬉しいことが起こった。
ラオスに居る彼と、シェムリアップで一緒に暮すことが出来そうだ。
仕事も、工房のオーナーが与えてくれると言う。ほんとうに仏様みたいだ。

実は先日ラオに帰った時、やっぱり一緒に居られる方法を2人で話し合った。
ラオで2人で暮すことに関して。
外国人とラオ人が一緒に居ることで検挙対象になる国で、
たとえ結婚したとしても(結婚にも1000$近くかかるの)、配偶者ビザは出ない。
だからワタシがラオに居る為には、何らかの形でビザを買い続けなければならない。
仕事は無い。今は不可能だと結論。

では、ワタシの今の仕事を優先して、シェムリで彼の仕事を見つける。
でもこれは言葉の問題で不可能に近いと思っていた。
この案がダメな場合、彼の出来るタイ語、と言うことでバンコク。
でもバンコクではワタシの布の仕事は不可能だろう。

シェムリでいろんな人に当たってみたけど、
やはりタイ語とラオ語+ルー語だけではこの街で働くのは難しい。
昨日、ワタシの今の仕事を紹介してくれた方に相談した。
オーナーにまず話すべきだと言われた。絶対力になってくれるからって。
ワタシはとても私事なので、申し訳ないと思って聞けてなかった。
今朝、意を決して相談したら、あっさり
「それは一緒に居た方が良いよ、ここに呼びなさい。」と。涙涙。
はあ。力が抜けた。

ということで、準備等々含め、7月にはこっちに来て一緒に暮せそうだ。
まあまだ油断は出来ないが。。
とりあえず、胸のつかえがとれた。

オーナーの心に本当にありがとうございます。
一所懸命働きます。

20110516

110516

昨日ラオからシェムリに戻った。今回帰って、本当に良かった。2人でよく話をして、結果も2択に絞れた。後悔だけは、したくないと心から思う。
それから人を傷つけることがないように、祈る。

Wat Vison ルアンパバン、ブワッ(ト)と言われる出家の儀式。少年達が、僧侶になる、特別な日。

20110507

110507

守る人、愛する人が居るということは、人間を強くするかもしれないけれど
同時に、その人が弱点を持ったということかも知れない。
とても悲しいけど、ワタシの場合は事実だ。
そしてまだ自分自身でそこを扱えていない。

110507

カンボジアでのこと。
色々な人に手を差し伸べてもらって
それでも結論が出せなくて、
なんでいまだにこんなに弱いんだろうと思う。

母親に昔、あなたは自分自分、自分のことだけしか考えてない、
それで自分がつらいからって人を恨む、と言われたことがあった。
それは、ワタシの根本かもしれないと思う。

だからって、どうしたらいいかまだわからん。