20100325

100325

昨日は朝から外が騒がしいと思っていたら。
昼の11時過ぎ、村の商店のアーイが来て、みんなでビール飲むよって言う。

外に出たら、向かいの家が新築完成し、子供も生まれたということで、
パーティを開いていた。盛大。生バンドとカラオケ有りの結構な規模。
料理は、カオプン(ココナツスープのピリ辛そうめん)とラープ(ひき肉サラダ)と
ヤムサラット(生野菜と香草、ゆで卵、トマト、サウザンソースに似たドレッシングのサラダ)
もちろんビヤラオ飲み放題。

そんなこんなで昨日は飲みっぱなし。
でも確か水曜日、平日のまっ昼間に、老若男女、
近隣の村からも含め、多分100人位が飲み踊る。
でもって学生達は散々ビール飲んでから
さくっと午後の授業に行くとさ。不思議な社会。

そういえばお肉とお魚を食べなくなって2ヶ月くらい経つ。
ただ要らないなと思っただけ。10代後半から23くらいまで、
同じ状況だったけど、また必要なくなったようだ。
でもワタシ、多分だけど、こういう時期の方が草食系とは程遠い、
かなりストイックな状態だってことを思い出したりしてる。

ピーマイの準備で街中が浮き足立っている。

20100319

100319

乾季が終わろうとしている。
朝晩の短い雷雨と不思議な色の夕焼け。

シェンレックに通うことを止めた。
オーナーである彼女と感覚が、やり方が違っていた。
彼女を、そのデザインを感性をリスペクトしている事に変わりは無いけど
一緒には作業を出来ないっていう結論に達しただけ。
2人で話し合って決めた。
彼女とはワタシが自分のやり方で出来るようになったとき、
また会う気がする。これもいい経験。

正直、あまり余裕がなくなってきたけど、また自分の道を探す。
まあ住む家があるだけでも心強い。
新築だったワタシのアパートにもやっとヤモリが住み着いた。
そしてさっき鳴いていた。嬉しい。
ラオではヤモリが家に住んで、鳴くと更に幸運だと信じられている。

村での生活は良好。
水が来ない日にはバイクに乗ってカーン川へ水浴びに行き
大家さんや村の人達とご飯を食べ、ビヤラオを酌み交わす日々。
ラオ語もだいぶ分かるようになってきた。まだまだ苦労してるけど。
こうして過ぎていく日々はとても緩やかで、暖かい。

4月のソンクラン前にタイから友人が来る。
タイ在住20年の姉さんは大好きな友達の一人。
今バンコクはまた政情に不穏な感じがあるが、大丈夫だろうか。

20100304

100304

ラオにきてから半年が経って、あっけなく、30歳になった。
今年の2月28日は満月で、ワンシン(仏陀の日)。
寺で祈り、住んでる村ではみんなが祝福をしてくれた。嬉しかった。

ルアンパパンに来て2週間。
家はナサンウェイという村。大学の近くで村の8割は地方からの学生。
アパートにはお湯は無いけど、水瓶に溜めた水で風呂や洗濯その他全てまかなえる。
家賃は年間250ドル。

毎日、朝はメコンの朝日、帰りは夕陽を横目に自転車で30分のシェンレック村へ通っている。
工房での仕事は染色、紡ぎ、織り、販売、手伝いながら学んでいる。
やっとやりたいことが出来るようになった。まだまだ問題もたくさんあるけど、普通に暮らしている。

ターダム(工房のオーナー)にも出会うべくして出会ったんだなと思う。
彼女に初めて会った時、この人好きだなって直感で思った。
同い年だけどメチャメチャはっきりしっかりしていてラオ人じゃないみたい。
ドイツに留学もしていて英語は超流暢に話すし
まさかの、ラオ料理が食べられない。
まじに。辛いものや香草を食べるとおなか壊して寝込む。。
彼氏はドイツ人で、彼女を追っかけてラオに移住してしまった。
この人もいい奴で、私たちは外人永住組として何かと助け合っている。

ワタシはそのうち工房に住むと思うけど
ラオでは外国人がラオ人の家に泊まることは違法。
村長の許可を取ったり、警察に届けたりしなくてはいけないので道は遠い。
まああせらず。気長に。

日本を寂しく思わないかっていろんな人に言われるけど、それはない。
でも、日本語はね、話したいし、聞きたいと切に思う。my nationality
日々、ギャラリーと工房に来る客とは英語。通常の生活はラオ語。
ラオ語と英語で夢を見て、起きてから日本語で考える。

明日から10日ばかり、ヴィエン経由南部のサラワンへ行く。
JICAの対象村を見学させてもらえることになった。

夢が少しずつ現実になっていく。ありがとう。

20100216

090216

久々に写真が手に入った。
ボーケオのフェイサイの村からソンテオで帰るワタシ。
写真ありがとう。

このソンテオがこの後、地獄の道をたどることになるとは。
同乗していたのはラオラオを瓶でラッパ飲みのカム族の労働者。
タバコ(?)と民族の歌大合唱の中、山道を恐ろしく
のろいスピードで町へ向かうのでした。

そう。サムヌアに戻った。明日、ルアンパパンに発つ。
郊外の村の工房で織物しながら、働けることになった。
本当に縁と出会いに感謝してもしきれない。
これから返していけるように。

20100212

100212

今ルアンプラバン。
美しい、観光化された古都と、悠久のメコンの街。

今月の移動距離はハンパない。
縁と出会いに支えられ導かれ、まだまだ流浪。
サムヌア~ルアン~フェイサイ~チェンコン(タイ)~ウドムサイ~ルアン
週明けにはポンサワン。
でもサムヌアに、帰るといえる場所があることにほっとする。

20100114

140110

この数日。異常な寒さが続く。
標高1200メートルのここサムヌア。
3日間15度以上に気温が上がっていない。朝晩は10度のときも。

窓があっても閉まらない、隙間風だらけのラオスの家は
部屋の中も外気と変わらず。
ドアの無い家もあるし、有っても閉める習慣は無いから
まさに外。暖房器具はもちろんなし。

こんな日はどの家々も、家族で居間に集まり、
カオニャオを炊く練炭を囲み、一日おしゃべりして過ごす。
(外気吹き抜けだから自殺しちゃう可能性は有りません)

で6時過ぎに陽が落ち真っ暗になる頃、
ラオラオ(ラオス酒45度以上)をまわし飲み始め
流行の音楽が大音量でかかり出し、踊ることになる。
っていっても歌謡曲的なリズムにただ立ってゆらゆらするだけ。
いとしすぎる。

ここにちょっとずつ慣れていく。
ここの人々の暮らし、考え方、価値観、コミュニティ主義のこと
まだまだだけど、こうして日がな一日一緒にいて、
もっと分かりたいと思う。
言葉や暮らしというのはそのあとをついてくるのかな。
気候とは逆に、穏やかな気持ちで暮らしている。

3ヶ月、この時点で振り返っただけで
言葉にできない思い、数々の出来事、いろんな人。
嫌なこともされる、理不尽な扱いも、差別も、誤解も、うそも、
数えたくないくらいある。
それでも一方でこの国に、この人達に助けられ、
愛されて、救われたことも数知れない。

そう、好きだけでは暮らせないことは良く分かった。
でも、まず好きでなければ暮らしていけない。
そしてやっぱりワタシここが好きだ。
今、ここにこれたこれまですべてのことも、
全部含めて好きだって言えるようになった。

これからも、ここで1人の外人、そして日本人として生きていきたい。

20100105

100105

サバイディー ピーマイ

年末年始は日本から来てくれた友人とポンサワンで飲んだくれ。
久々に日本酒や温泉や、日本語の毒舌トーク。楽しかったね!

ちょっと落ち着いた@サムヌア山間の静かな町。
今年も少しづつね、前向いて歩いていきます。