20091220

091220

明日出発します
ここで会えた人たち、出来事に感謝して。

北部へ。ポンサワンからサムヌアへ。
サムヌアに住んでみます。
何がまた起こるのか、起こすのか。

20091206

091206

興味深い、良い出会いがあった。

この1週間ばかし南に布を見がてら旅をしていた。
最終日のVCNに戻るバス(まあいつもの10時間超え長距離)

40代くらいのラオ人と思われるカップル。
男性は英語で近くに座ったBPと話していた。
休憩のときワタシがイスラエル人BPの子としゃべっていたら
メンタマ飛び出させてこっちにきて
「北部の少数民族なのに英語が上手い!!!」
と言ってきた。。
あのーラオじゃないです。日本人です。
またまた仰天していたけど。

そんなこんなでなんだか話してたら
ラオス語がちょっとおかしい。
聞いたら実は37年ぶりの帰国だという。
そう、74年の革命の年
新政府を恐れ家族とともにフランスへ逃げたのだと
小さな声で話してくれた。

そしてフランスで教育を受け、ベトナム人と結婚し
やっと、生まれた国に帰ってきたのだという。

深夜のバスだったからあまり話さなかったけど
宿を同じGHに紹介して、今からビールを飲みにいってくる。

外国であるここに永住を決め込んだワタシと
帰りたくても帰れなかったし、
もう言葉忘れかけ、環境も変わってしまった生まれた国に戻ってきた彼。

時代は変わっていくかもしれないけど
それぞれの人生の、それぞれの心を見ている気がしてる。

20091127

091127

プランが少し変わったのでちょっとまとめてみる。

最初に考えた、ラオス国立大学のラオス語学科は高すぎたよ。
8ヵ月で500ドル位+学生ビザ代が200ドル。
それとワタシは一応読み書きは出来るので、
必要なのは 会話力、単語。これは実際しゃべって覚えていくしかないということ。

これからどうするかってこと、
いろんな人にここに住み続けること、織物とハンディクラフトをやりたいと言い続けて。
実際には暇な時間で(暇しかない)ニットやコットンで小物たちを作っている。
少しずつだけど、声をかけて貰えるようになってきた。
サラワンのjaica、バンビエンの村、
でも何もなくても大好きなサムヌアにとにかく住んじゃおうと思っている。
1月には移動。

ビエンチャンの匂い。
ディーゼルのげっぷと、赤土のホコリ 。
中国料理のオイスターソース。

なんだかとても長くここに居た気がする。

20091124

091125

明日から少し旅に出る。

バンビエンの村で呼んでくれてるとこがあるので行って見てみる。
様子見でそのままシェンクアンとサムヌアへ。
ここビエンチャン暮らしはそろそろ終わりにすることにした。
情報と出会いはたくさん有った。良かった。
これからまた始まる、好きな土地へ移動。

20091123

091123

最近英語が出てこない。

昨日タイ在住のアメリカ人と話した。
最初英語だったはずなんだけど、ダメ。
完全にラオス語が混ざるもんで
彼はしまいにはタイ語で話し出したよ。はい、是非そうしてください。

てことでま、いっか。

20091118

091118


完全に余談。

パトゥサイを知っていますか?
ラオの凱旋門と言われていて、戦没者祈念塔らしいのですが、
未だ未完成。
ビエンチャンの真ん中にある、結構好きな建物。

今日用事があってそばまで行った。で、突然思い出したことがあった。
17歳の時、いつも信じてたことが有る。
30歳の誕生日は凱旋門の下に居る、って思ってた。なぜかは分からない。
その後パリにも行ったし、凱旋門も見たけど、そんなこと忘れてた。
今まで何度もここに来てるけど、今日思い出した。
あの頃、あたしの感じた凱旋門はラオだったんだろうか。
そのときはパタンナーになりたくて、絶対パリに居るって思ってたけど。
でもここだったみたい。
2月にここで30歳になる。

20091117

091117

色々動いていると、そこここで反応があるもので。
南部での養蚕やコットン関連の話を頂けそうだ。
ボーケオのHCの方も進めたい。忙しくなりそうだ。
すげー楽しい。不安は有る。まじ死ぬほど。
でも生きていけてることに、感謝をしてね、やってみる。

そういえば最近めっきり寒い。
半袖では日中もちょっと心細い。
今日は朝から雨季の終わりの大雨。
ビエンチャンには緑が無い。コンクリートと泥水。
花の咲き乱れる田舎へ行きたいと切に思う。