20111220

111220




「スパエクトム」
陽が落ちた頃、大きな焚き火の前にスクリーンを張り、
祈りの儀式のあと始まる影絵芝居は、シェムリアップの伝統芸能のひとつ。
直訳すると大きな皮、の意。
水牛の皮をなめし、手作りされた影絵を掲げた演者たち、
ナレーションとせりふ役、打楽器の生演奏。
ラーマヤナのカンボジア版といわれているリムケーという叙事詩を演じる。
影絵と演者の一体になった動き、せりふの声の響き、音と光。
発祥の時期や場所は定かではないらしいが、
長い内戦や混乱の時代にも、人々はこれを隠し、守ってきたという。

ラオからこの国に来て1年が経った。
良いなと思うのは、こういった伝統芸能、文化が息づいているというか、
普通に人々の日常の暮らしの中に有る、ということかな。
アプサラ舞踊なども、定期不定期に色々な場所で、ほとんどが無料で誰にでも公開されている。

20111216

111216

繭玉せっけん始めました。

DMの手作りせっけんシリーズはうれしいことに
シェムリアップで好評を頂いてます。
今までのライスミルク、タマリンド、に続き、繭玉ハニーです。
植物性のグリセリン(保湿)にジャングルハニー(ビタミン豊富)、
シルク成分のセリシンでお肌プルプル、すべすべ効果。
繭玉でのフェイシャルマッサージはバンコクっ子に流行中。
もちろん材料はすべて自然のものたちから作ってます。
年末には数量限定で、日本でも購入できます。
詳しく決まったらまたお知らせします。友人のみなさまへ、FBにもアップします^^

20111214

111214

レプトスピラ感染症。
数ヶ月前、洪水だった約1ヶ月の間に、高熱と全身痛と妙な咳で寝込んだ3,4日間があった。
病院にも行けなくて、なんとか自力で復活したのだが。風邪にしては薬が効かなかった。
今日ひょんなことから、その病気が「レプトスプラ感染症」だというほぼ確信を持つことになった。

ウィキの引用によると
「ネズミなどの野生動物を自然宿主として、ヒトだけでなくほとんどの哺乳類に感染。 
腎臓尿細管などで増殖し、排泄物を経由して汚染された水や土壌から経口・経皮的に感染する。」


そう、あの洪水の中、ネズミの死骸やら何やら、
汚水以外のなにものでもない水の中をモモまで浸かり、歩いた日々。
大きな四駆が通るたびに水を撥ね、顔にもかかった。
絶対これだったんだわ。。
実際洪水被害による流行というのは東南アジアでは珍しくないそう。

今回は無事済んだものの、やっぱり嫌だな、と思う。
ただでさえ海外旅行傷害保険が高すぎて掛けられないワタシ。
自分の身を守るのは本当に自分しかいないんだよね。リスクは高い。

20111128

111129


27日はシェムリアップの日本人会主催の盆踊り大会。
DMとラオ料理、ラープとソムパック、それから手作りせっけんの屋台を出した。
完売はしなかったけど、お小遣いにはなったし、なんせ楽しかった。作るのも売るのも。
普段の生活の中では、なかなか会う機会がない在住の人たちにたくさん会えたし、
ラオ人(この町にはDMの他に2人居るのだ)も食べに来てくれて、嬉しかった。

で、売り切れなかったラープ達は、、
朝は素ラープ、昼はクアフーにラープぶち込む、夜はラープ餃子。
今朝は残りの餃子、昼にはラープでキーマカレー(これで完食希望)。
おいしいけどもう当分いいね。。

20111122

111122


「Khmer and Okinawan Traditional Textiles」    

はるか昔、この国の民と琉球の民が親しく交流していた時代があったという。数千年の時が過ぎ、その時代の記憶は人々の中から消えた。
それでも、その証は今なおそれぞれの土地で生きつづけている。
アプサラダンスと琉球舞踊、また絣布や染色素材の共通点。
海を越えるには船しかなかったその時代。文字通り、人々が命がけで渡ったその道を「織りの海道」と呼ぶ人も居る。
今、ワタシ達はとても簡単に、そして安全に、海を跳び越える。
そんなすばらしい時代だからこそ、もう一度、
古代の人々の声に耳を傾けるべきかもしれない。
時を経て、今なお不思議な輝きを持ち続けている布達を見て、そう思った。

20111107

111107

引越しして2週間が経って。
アパートは何も無かったので、冷蔵庫やら色々購入して苦しいが。

これは何でしょう。そうです、ガスボンベ直結のコンロです。
ガスのつまみををひねって、直接火を自分でつけるのだ。
怖いでしょう。初めて見たときは恐ろしくて絶対無理と思っていたが、
普通のガステーブルは狭いキッチンには困るし、、
ていうか値段が高い。35$~200$!!

ラオでは、電気代が安いので電磁調理器具が主流。
もちろん炭火コンロも併用。
でもこの国の電気は輸入品。ラオ→タイ→カンボジア、らしい。
電気代はちょーーーー高い。
だから普通の一般家庭では外で炭火調理。もしくはカセットコンロ(日本じゃ鍋の時くらいよね)。
2穴ガステーブル所持なんてのはお金持ち家庭。
ワタシはカセットコンロは有るのだけど、調理はまだしも、DMのせっけん作りには厳しい。
、、、てなわけで、このガスボンベ一体型コンロを購入することになったのです。
ちなみにセットで21ドル、ガスの交換は4$だって。

使い心地、、最初は点火が相当怖かったけど、そんなことも言っていられないわけで。
やっぱ火力は強くて嬉しいのです。
バンコクの洪水が落ち着いたら、せっけん材料が届くので、DMにがんばってもらわなくっちゃ。





20111031

111031

昨日、店の犬2匹が毒入り肉を食べて死んだ。

どんなものでも、生きてるものを殺す権利は誰にも無いでしょう。

意味も無く殺したり、いじめたりするのは、キチガイだ。

それから、もしも犬への恨み以外の理由があって、その暴力を犬に向けたのなら、それは死んでも許されない。

20111026

111026

昨夜、アンコールトムはバイヨン寺院にて、お能を観てきた。
日本の友人が手縫いして、ここまで持参して来てくれた浴衣、
モン族の藍染にろうけつ染め模様の布を帯に。

って。久々過ぎる着付けと帯で四苦八苦、、
カメラを忘れたから夜のお能は撮れなかったけど。

星空、闇に浮かぶバイヨンの塔達、お能の光と音。
いつもと違う夜。楽しい時間を過ごすことができた。

シェムリアップも長かった雨季が終わったようで
夜は少し気温が下がり、昼間は良く晴れている。

20111022

111022

世界遺産の寺院で夕暮れ、日本の能を鑑賞できるという。
早速、入場券を手に入れて、楽しみにしている。

バイヨン寺院という4面の顔を持つ塔が並び立つ、
アンコール時代の遺跡。
そこで日本の伝統芸能なんて、素敵ではないですか。
ええ、チケットにはなんて書いてあるのかさっぱり分かりませんが
ちょっとおしゃれをして、DMと一緒に行きます。


すごくすごく良いことも、すごくすごく悪いことも、 ずっとずっと続くことはない。

20111013

111013

本当に嫌だが、汚い洪水の中、買い物に行かなくてはならないので行くわけ。歩いて水の中。
で、市場の脇で、歩いて屋台押しながら焼き鳥売ってる人と、
その隣でサカナ網を投げてサカナ捕ってる人を見て。
なんか、「泳げタイヤキくん」の歌が浮かんできた。
屋台の板の上から焼き鳥が水ん中に落ちたら、タイヤキくんの世界になるでしょう。

だからブツブツ歌ってたら、DMが何の歌かと聞く。
ラオ語で泳げタイヤキくんのシュールさを伝えられず、つまんない説明になったであろうが
「海みたいかも」と笑っているDMを見て、ワタシは幸せなんだろうと思った。
だからといって、明日どうなるかっていう現状の打開にはならないが。
友人いわく、自分と同じように大切だと思える人と一緒に居られるのは嬉しいことね。

今から引越しの準備。

20111012

111012

1ヶ月に3度で終わったはずだった洪水は、4度目が来襲し、
またこの3日間タプンタップンしているこのシェムリアップの町。

工房も浸水で仕事にも行けず、ワタシの足の怪我は化膿し、困り果てている。

それから、今の本当に気に入っている家だけれど、引越しする。
あ、これも今年4度目だわ。。
色々ありまして、、家賃が厳しいという現実には勝てません。

ついでにもひとつ、
行ければ、再来週にラオはVTEで年1度開催される
手工芸展示会に行きたいのだけれど、、
いかんせん、経済状況。。泣

何やってるんだろうね。ほんとに。

20111008

111008

まったく、この1ヶ月に3度もあった洪水もおさまり。
手作りせっけんをDMと作っている。
DMの仕事にもなるし、ちょっとした副収入になればと思っている。雑貨屋さんをやっている友人が取り扱ってくれるので、とても助かっている。

パバンはそろそろ乾季の気配と共に肌寒いそうだ。今となってはあの寒さも懐かしいなあと、、。
やっぱり帰りたいとまだ思っている。

20110924

110924

今年の雨季はひどいようだ。
洪水がこの2週間で2回、シェムリアップ市内の東側半分が冠水。
道路は川。お店や家は水の中。
うちは2階なのでまだ大丈夫だが、トイレの水が逆流してるし
徒歩で外に出ようにも、玄関から門まで1m浸水だし。

それでも、道路だった川に投網して漁したり、
橋から飛び込んで遊んでたり、そのまま洗車してたり。
ふつーに過ぎてるここの人達の時間を見てると
なんかたいしたこともないような気になってくるが

いや、恐らく下水道、町のごみも混ざった濃い黄土色の水の危なさ。
水が引きかけた時の悪臭のひどさ、これはいかんでしょ。
実際アタシの足にあった傷は化膿した。DMのなんかに噛まれた傷は
ずっと痒いと言っている。

やっぱり嫌だな、と思う。
少なくとも、町の反対側に引っ越すかな。

20110907

110907

書きかけだった日記があったのを今気づいた。

これは洪水前、よく晴れた日曜日に、DMと西バライ(West Baray)という、アンコールの時代の人口貯水池へ遊びに行ったのだ。水はパバンのクアンシーなんかとは比べ物にもならないほど濁っているが、泳ぐのはとても好きだから楽しかった。ビール飲んで焼き鳥食べて、日焼けしすぎて真っ赤になった。

この数日後に大洪水になろうとは思ってもいなかった。
乾季になって欲しい。

20110902

110902

人生の分岐点、あなたのターニングポイントはなんですか。

先週、そういうインタビューを受けた。
外国で働く日本女性にインタビューをして、実際の声を集める企画だそう。
改めて、自分のことを今まで振り返って聞かれるとその時々の行動や出来事、
それに付随する感情をうまく言葉に出来ないもんだなと思った。

偶然だが、先月、うちのボスも同じテーマで日本の雑誌から執筆依頼を受けて原稿を書いていた。
その分岐点は1980年、ワタシのうまれた年。それから30年、この東南アジアで生きて、
しかもなんだかものすごいことをやっている。
ワタシは、自分の生きてきた軌跡を振り返り、コトバにするのにあと30年はかかる気がする。
ただ、その時その時、出来ることを、本当にひたすらやってきた。
不思議なものでそれをやりきると、また別の道につながる。そうやってここまで来た。
それからワタシは運がいいんだと思う。これは親に感謝ね、生命力しかり。
たくさんの良い出会いと人に恵まれている。
で。結局まだワタシには分岐点は来てないのか、気づいてないのか。。
あ、多分ラオに移住してから、今まで以上に勘や、引き込む縁が強くなっている気もするけども。。
とにかく、今日も必死。

20110824

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ラオから抱えてきた布をお店に出す。今回の旅は、バスの事故、故障が続発で(がけ崩れやらバスのスリップで転落未遂やら)で、DMとBKKの姉さんがいなかったら、今ワタシはここに居なかったかも知れない。ともあれ、Oudomxayとパバン郊外の村と、好きなものを手に入れ、無事にシェムリに置けて、いろんな人やことに、感謝感謝。初めて自分だけで仕入れや、その他色々始めるので、全く分からないことばかりで、不安だが、好きなモノにこうして関係していられることが幸せだ。がんばります。個人的にはこれから藍の大きな布で素敵な羽織を作ろうかと思う。DMがクメール語を勉強しだした、
タイ語×クメール語は今、教えてくれる人が中々居なくて大変。早くお仕事できるようになってね。



20110823

110823

がらんとしていた我が家も、
CSフレンズや友人が集まるようになって、
とってもうれしい。
シェムリアップに戻ってきて1週間が経った。布の仕入れと、DMと雨季の悪路と。

戻ってきてからはマニュマニャ(笑。あっという間に1日が過ぎる。

やること、やりたいことが好きなように出来るというのは本当に楽しいもんだと改めて思う。


ワタシの気持ちの方は本当に落ち着いたようで、安心して新しいことに夢中になっていられる。感謝。これからきっと大変なこともあるだろうな。また想像も付かないような。やってみるしかないわ、自分で決めたんだから。

20110807

110807

引っ越して広い家になって、CSを始めて。
初めて来たのは韓国人の女の子。
とてもキュート、んで、すごい前向きなパワーを持つ人。
今、日本と韓国は政情的には大変なこと。
でもね、一人の人間として、一生懸命生きてる、ということは変わらないんだ。
だからね、あたし達は友達になった。
たくさん話をして、自分のこと、家族のこと、愛する人のこと、旅のこと。
すごく楽しかった。ありがと。

明日からラオ。仕事もあるし、ダムも一緒に帰ってくるのよ。
どうなることやら。

20110723

110723

画像が暗くて見えないけど、、。
昨夜はこの町に住む友人達と、カンボジア鍋を食べた。まずい。
でも誘ってくれた友人達は好きな人たちよ。
カンボジアを愛し、自分の力で一生懸命生きてる、素敵な女性達。
何で日本に生きているんだろう、と考えなかったのと同じように、いまワタシがこの国で生きていることも理由なんてないのかもしれない。
ラオに暮らせなかったことも含め。
カンボジアだから、シェムリアップだから、そして今の仕事だから、今生きていられるわけで。ワタシは何にこだわっているんだろうか。
もっと物事は簡単なはずだったのに。どうしても許せないことが多すぎる。
多分、生理的にうけつけない、本当に嫌いなだけなんだろう。
こんなこともあるんだわ。できれば知りたくなかったよ。
8月中旬に仕事でまたラオに行く。

20110718

110718

タムカオプン&マクテン
トマトリゾット
今週末は引越し。
新しい場所と言うのはいつでもワクワクするもんだ。
そのうち慣れたときはまた考えればよし。

先日バンコクの友人に「ネパール岩塩」なるものをもらった。
これがめちゃくちゃ美味しい。薄いピンク色の塩で、硫黄臭が少しあるんだけど、
これがまた塩の甘みと良く合って、料理が数倍美味しくなる気がする。これはここ最近の食に関する大ヒット。

ラオから布を仕入れてお店で取り扱う方向の話が進んでいる。
好きな布と好きな国と、こうして関わっていくことが出来るのは幸せなことだと思う。
また忙しく、おもしろくなりそうだ。

DMは8月5、6日辺りらしい。無事に着くことを祈って。
まあポイペトまで迎えに行くけどね。。

20110704

110704

今の家は、ワンルームで外人用の普通のアパート。安全だし、ネズミとかいないけど、おもしろくないのよね、、。
半年経って町の様子も分かった来たし、そろそろ引っ越したいなと思ってた。
結構探したけどなかなか、予算とサイズと、中身が合わないもので。
しかし、ついに見つけてしまった。
カンボジア式高床式木造家屋、超かわいい。
1階が大家さんで、2階部分を貸しているのです。
若干予算オーバーなのだが、DMも来るので少し払ってもらって、、ふふ。
3ベッドルーム、キッチン、ダイニング、バス2箇所、なにより気に入ったのが、家を半周するこのバルコニー部分。
未だに好きになれない土地で、少しでも楽しく暮らしたい、と思うのです。
couch surfing も始めたし、なんかおもしろく暮せるかな。。DMが来ることが一番楽しみだけどね。

20110624

110624

誰かのツイートを見て思うこと。

「先進国の人間として、途上国に住んでいると、同じ人間に対して
いかに自分が冷酷な態度をとれるのかと、自分自身に驚くことがある」

本当にその通りだと思う。

差別とか、蔑みとか、それはいけないことだと道徳上教えられてきたし、
ワタシだって頭では多分分かっている。
それでも、一緒に仕事をする、買い物、レストランでの接客、街中の物乞い、
ワタシはどうやってこの人達と付き合っていけばいいのか、まだ分からない。

教育、というのは本当に大切で、且つ恐ろしいものだと思う。
もちろんそれだけで人間ができあがるわけじゃないけど、
やっぱり知らないということは、知っているということより劣ると思う。
本を読まない、だって字が読めなければ、読む本がなければ、読む習慣はつかないだろう。
そして比較する対象が無ければ、それはその世界の常識。
ワタシがやってることが彼らには意味不明だろう。

ああ。激しく混乱してきた。だめじゃこりゃ。
こんなこと考えるなんて。。

20110611

110611

シェムリアップは雨季に入った。
1日数時間のものすごいスコール。
暑い日差しによって、地表で暖められ蒸発した水分が
上空にたまり、入道雲となり、その重さに雲が耐えられなくなったら、
一気にドバーっと落ちてくるのがスコールらしい。
なるほど。

今年に入って、大切な友人3人に
赤ちゃんが出来たという、うれしい知らせ。
ワタシたちはあの時期の、お互いの人生の、
大事な1場面1場面を、共有していた。
同じ景色を見て、泣いたり笑ったり。
そして、自分たちの孤独と戦っていたような日々でもあった気がする。
彼女たちと過ごしたそんな日々は、今もワタシの核になる部分だと思っている。

そして、今、次の舞台の幕が開いた。
今度は1人ではなくなったワタシたちの、新しいステージが始まった気がするんだ。
守るものや愛しきものを持った。
どんな舞台になることやら。自分も含め笑、みんなの幸せを祈ってやみません。
これからも良い人生を。

20110602

110602

1、炊飯器でなんとかカオニャオを蒸せないか考えあぐねた末に
2、この、普通は冷めたおかずや野菜を蒸す場所で
3、水にしっかり浸けたカオニャオをフキンで包み、
下には水を入れて、スイッチオン。蒸すこと40分
4、ちゃんと蒸しあがった!!!
これでこれからもカオニャオが食べれる!
ほんとにうれしかった、記念すべき日。
人間物がないと頭を使うようになるらしい。
ちょっと大切なことを学んだ気がする。

20110528

110528

とてもとても良いことも、とてもとても悪いことも、
とてもとても長続きするということは無い。
大好きだった、ダグラス クープランド氏の本にあった言葉。
15か16だったワタシはこの言葉に救われた気がしたけれど、
今思う、
では、どっちでもなく過ぎる日々は、永遠に続くことがあるんだろうか。

食べるものにも、着るものにも困らず、好きなことをしていて、
何が不満なんだろう。
カンボジアだ、カンボジア人だ、というのも
何かのあてつけ?というんだっけ、ほこさきがそこに向いてるだけで
もっとワタシの心の奥にある、何かなのかもしれないと、思う。

昔の記事を見返してたら、ラオに居る頃と
シェムリアップに来てからの内容が、思っていることの視点が、全く違う。
何故。

20110525

110525

少しずつ、前に進んではいるんだけど。
なんか前に進むのもちょっと怖い。
怖がってたって、時は過ぎて、絶対結果は出るんだけどね。
ワタシは、今出来ることは全部やった、とはっきり言える。
もうあとはなるようにしかならんね。
本当は、安心したい。

20110520

110520

奇跡だ。とても嬉しいことが起こった。
ラオスに居る彼と、シェムリアップで一緒に暮すことが出来そうだ。
仕事も、工房のオーナーが与えてくれると言う。ほんとうに仏様みたいだ。

実は先日ラオに帰った時、やっぱり一緒に居られる方法を2人で話し合った。
ラオで2人で暮すことに関して。
外国人とラオ人が一緒に居ることで検挙対象になる国で、
たとえ結婚したとしても(結婚にも1000$近くかかるの)、配偶者ビザは出ない。
だからワタシがラオに居る為には、何らかの形でビザを買い続けなければならない。
仕事は無い。今は不可能だと結論。

では、ワタシの今の仕事を優先して、シェムリで彼の仕事を見つける。
でもこれは言葉の問題で不可能に近いと思っていた。
この案がダメな場合、彼の出来るタイ語、と言うことでバンコク。
でもバンコクではワタシの布の仕事は不可能だろう。

シェムリでいろんな人に当たってみたけど、
やはりタイ語とラオ語+ルー語だけではこの街で働くのは難しい。
昨日、ワタシの今の仕事を紹介してくれた方に相談した。
オーナーにまず話すべきだと言われた。絶対力になってくれるからって。
ワタシはとても私事なので、申し訳ないと思って聞けてなかった。
今朝、意を決して相談したら、あっさり
「それは一緒に居た方が良いよ、ここに呼びなさい。」と。涙涙。
はあ。力が抜けた。

ということで、準備等々含め、7月にはこっちに来て一緒に暮せそうだ。
まあまだ油断は出来ないが。。
とりあえず、胸のつかえがとれた。

オーナーの心に本当にありがとうございます。
一所懸命働きます。

20110516

110516

昨日ラオからシェムリに戻った。今回帰って、本当に良かった。2人でよく話をして、結果も2択に絞れた。後悔だけは、したくないと心から思う。
それから人を傷つけることがないように、祈る。

Wat Vison ルアンパバン、ブワッ(ト)と言われる出家の儀式。少年達が、僧侶になる、特別な日。

20110507

110507

守る人、愛する人が居るということは、人間を強くするかもしれないけれど
同時に、その人が弱点を持ったということかも知れない。
とても悲しいけど、ワタシの場合は事実だ。
そしてまだ自分自身でそこを扱えていない。

110507

カンボジアでのこと。
色々な人に手を差し伸べてもらって
それでも結論が出せなくて、
なんでいまだにこんなに弱いんだろうと思う。

母親に昔、あなたは自分自分、自分のことだけしか考えてない、
それで自分がつらいからって人を恨む、と言われたことがあった。
それは、ワタシの根本かもしれないと思う。

だからって、どうしたらいいかまだわからん。

20110426

110426

赤い草履を買った。
シェムリアップにはサクラリサイクルショップ、という主に多分日本からと思われる古着屋、靴、その他もろもろを取り扱っているお店がある。
気になったらけど行ったことなくて、昼休憩のときににちょっと覗いた。
ぶらぶら見ていたら突然この赤い草履が目に入って、どうしても欲しくなってしまった。
こういう風にモノに呼ばれて買うのは久しぶり、こういう感覚はとっても好きだ。
人からただの衝動買いだと呼ばれても笑。。
そんなことで少しテンションがあがったりして、今日も暑いシェムリアップの午後は過ぎていく。

20110422

110422

少し時間が経ってしまったけど、ピーマイの時に花火を見た。
アパートの廊下から、国王の庭(Royal Independence Garden~すごい名前。。)の方向だった。
町に明かりが少ないので、夜空を彩ったその花火はとっても綺麗だった。
寒かった正月前から、新年を迎えたシェムリアップの町は暑さを取り戻し、浮き足立っていた人々も日常の生活に戻った。
一緒に花火を見た友人はビエンチャンに帰り、
一人になったワタシもいつもの日々。
最近は雷雨が時々。雨季も近いのかもしれない。

20110416

110416

この1週間、ビエンチャンの友人が遊びに来てくれてる。ワタシが仕事の昼間、一人で観光や、郊外の村を訪れて楽しんでいる様子。夕方以降は一緒に呑みまくっている笑。心置きなくしゃべって笑って、本当に友人は良いものだな~と思う。ありがとね。

昨日はお正月休みをもらったので、スラ・スランという、王様の水浴び場だったというところで日の出を見た。池に朝日が映って、とても幻想的な光だった。でもこの写真、太陽が4つあるように見えるんだけど。。大きな太陽の横に小さな太陽?それは池にも映ってる。なんだか不思議な写真を撮ってしまったようだ。

ともあれ、今年の年明けは友人と楽しく過ごしました。来年ウガンダに行く彼女の幸せと、素敵な未来を祈ります。

20110414

110414

                                 あけましておめでとうございます
サバイディ ピーマイ
チョール チュナム クマエ

ラオでは正確には16日が元旦にあたるようですが
ここカンボジア、タイでは今日14日がお正月。

お寺に行って、今年も生きとし生けるものの幸せを、
ワタシとワタシの大切な人たちにとっても、すばらしい1年になるように祈った。

きれいごとかもしれない。
でも1人1人が祈ること、思い続けることは、いつか大きな力になると思う。

どんな人も、その心を痛めることがありませんように。

20110410

110410


バンコク、ビエン、そしてパバン。昨日シェムリに戻ってきた。
自分への答えは、今出せる気がしない。
少しここで立ち止まって考えようと思ってる。
少なくとも、ワタシが今生きられるのはこの場所でしかないことは確かなんだから。

バンコク、ビエンで友人に会い、たくさんおしゃべりして、パバンでは自分の家で、料理を作ってみんなで飲んで、たくさん遊んだ。久々にお寺めぐりのデートまでしてきた笑。

Wat Pha Phone Phaoの上から眺めるパバンの山並みは本当に綺麗。
Curry Lao はやっぱりラオで作ったほうがおいしい?ビヤラオがあるかなかな。
日常に戻ったら、今やるべきことをきちんとやって行くことだよな。

20110401

110401

途方にくれている。
この土地に暮らして3ヶ月が経った。
慣れないどころか、ますます受け入れられなくなっている気がしている。
どうしたらいいんだろうか。
この土地のまとう空気のようなもの、また言葉の響きしかり。
吐き気がするときさえある。もう、ダメかもしれない。

仕事は良いの、本当に良い。やっと好きなことが思いっきり出来てるんだから。
生活もラオのときよりはるかに向上している。
関係をさせてもらっている人たちにも(片手で足りるが)
素敵な出会いに感謝している。

何でなのかが、全く分からない。
このたまに襲ってくる激しい感情。そう、怒りにも似た。
土地かな。

4日からラオに帰る。改めて考えてみようと思っている。

以上、エイプリルフール、、、だったらいいんだけど。

20110326

110326



先日育ち盛りの蚕の幼虫のために
葉を落とした桑の木から、新芽が出てきた。
南の国の太陽をたくさん浴びて、元気元気。
これでマルベリーティを作ろう。
おいしいお茶になりますように。

20110320

110320




今日はカンボジアの森に舞い戻ってきた、
ラックをお迎えするお祝いの日。
大きなクランの老木についた虫たちが、
この森を守り、ともに成長していきますように。。

祈りの儀式の後は、アプサラのダンスと、
300人以上分のボボー(具だくさんおかゆ)でパーティ。

とてもうれしい日でした。

20110312

110312


昨日3月11日東北地方太平洋沖地震、東北大震災。
被害にあわれた方々へ心から哀悼の意を表します。

離れたカンボジアで、今ワタシがここでできること。
お寺に祈りに行くこと、それから、異国に生きる日本人として誇りをもって、
日々を一生懸命生きること。

人々が、国が、助け合い支えあい、励ましあい、また復興していくことを祈っています。

20110301

110301

この31年間に、どれだけの人と出会い、別れてきたんだろう。そしてこれから、どれだけそれを繰り返すんだろうか。
たくさん泣いて、笑って、愛して、生きていきたいなあ。

20110227

110227

ブーゲンビリアの花が一番好きだ。
青い空によく似合うと思う。
この葉で布を染めると、
綺麗な黄緑色に染め上がる。
ワタシの最近のお気に入りのストール。
今日は休みで、緩やかに時間が過ぎてく。

20110225

110225

今日嬉しい写真が届いた。
先日ルアンパバンに帰ったとき、
ビエンから来てくれた友達が撮ってくれた、
ワタシのパバンの日常のひとコマ達。

ほんとありがとうね。

20110222

110222

これはルー語のメモ。学校なんてなかったけど、お父さんが教えるんだそう。
だから彼らは今でもルー語を話し、文字を書く。
食事は、みんなで作って、囲んで食べる。
これはルーの料理だよってみんな言う。ラオ料理とは違うとか(そっくりですけど)笑。
そんな村の暮らしは、普通のことだと思っていた。

カンボジアで、今日知ったこと。
内戦の混乱の中で、クメール語は変わり、簡略化され
食事を作る、そんな日常さえもままならない時代を経て
クメール文化は変わってしまった。
例えば、何でも食べられればいい。
だから今のカンボジアに料理と呼べるものは無いのかもしれない。
なんでも簡単に炒めたり煮たりするだけ、味付けも全部一緒。
砂糖だけをやたら使う。※語弊があったらごめんなさい。

だから、戦乱の中でもその民族の独自性を、文化を、
守れたラオの人々は、少しだけ幸せなのかもしれない。

ラオス、「ラーオ」とは彼って言う意味のラオ語。
それに英語の複数形の「S」が付いて「彼ら達」という、
多民族国家を表したなんて聞いたことがあったけど、本当にそうなのかもしれない。




20110216

110216

久しぶりに、Naxane村へ行ってきた。
相変わらずかわいい村だった。
彼と2人で、しかも2回目帰ったもんだから
村中大騒ぎだったよ。はは。
そろそろワタシも年貢の納め時かもしれないぞ。

それはいいとして。
不思議な縁を感じたこと。

今、アンコールの森の天使の故郷が
ワタシの愛したラオの森になるかもしれないこと。


ワタシの故郷もNaxaneの森の村になるかもしれない。

20110208

110208

今日午後からまたラオに行きます。
不思議な縁で、今回は今の仕事のミッションなんだけど
ダムの村にまた行って、あるものを取ってくるの。
人はどうやってつながって、助け合うことになるのか、本当わかんないもんだ。
でもまたラオにいけて、友達やダムに会えるのは、単純にうれしい。

20110130

110130

パバンに帰ってきて、あっという間に4日が過ぎた。
久しぶりに、よく笑っている。
そして久しぶりにたくさん泣いている。
泣きたかったんだなあ。
気の置けない人達に、甘えたかったんだろうな。
あーあ、もう31にもなるのに、なんてヒドイ。
でも今は甘えるだけ甘えさせてもらって笑、
シェムリに戻ろう。シャンとして。

20110125

110125

明日26日~1日までパバンに帰宅します。
時間が無いので、痛いけど飛行機でビュン。
飛行機代は競合が居ないからか めっちゃ高い。。

パバンでは愛車のバイクを売って、アパートにある当面の荷物を持って、
友人達とビアラオを飲んで、泣きながら戻ってくるでしょう。

どんなに好きでもどうしようもないことがあるんだと
こんなときに知ることになるとは。

20110120

110120

北の国から、優しい写真が届きました。
あの雪山の日々から8年も経った。
あの日毎日一緒に雪まみれになって、笑い転げてた友人達。
時が経って、今暮らす土地は離れて遠くても、
みんな相変わらず好きなことして、人生楽しんで、
でもって真剣に生きてるんだなーって、
うれしくなったし、元気をもらいました。
ありがとー!

20110118

110118

勉強のこと。

中国語を習い始めた。
ラオでもここでも思うこと。その中国パワー。
その良し悪しに関しては、ここでつぶやくことではないけど、
とにかく、この先もずっとこの東南アジアの片隅で生きるためには
中国語は絶対にあって損の無いスキルであることは間違いない。
ということで、クメール語をさておき(だってこの町、英語が普通に通じます)
土日の夜は学校。中国語に没頭し始めました。

でも新しいことを覚える、勉強するっていうのは、楽しい。
今の仕事に関しても、クメールシルク、その織り、絣、染色。
知れば知るほど深くなっていくの?

濃い日々。でも疲れたら休みます。
あせらず。さぼらず。

20110117

110117

ルアンパバンでは、在住外国人も少なく
ワタシもアパートにしっぽりはまり込んでいたので
あまり新しい人に会う機会が少なかった。
ここシェムリに来て、在住者は軽くパバンの100倍以上は居て
仕事でも、自営業、ホテル勤務、もちろん観光客含め、再び日々たくさんの人に会うようになった。
その分、ワタシ自身がしっかりやってないといけない、気の抜けないことも有るけど、
素敵な人たちに会って、パワーをもらったり、励まされることが多い。
特に、同世代の女性達には友人としてももちろん、
その心意気にリスペクトできる人たちが多い。
これは日本でも同じかな。
ワタシもそういうパワーを人に伝えられるように生きたい。
これからも、たくさんの人に会いたい。

20110106

110106

アンコール遺跡に昇る初日の出を見た。
湧き上がるようなパワーをもらって、1年の始まりを感じた。

シェムリでの生活も1ヶ月が過ぎようとしている。

カンボジアとラオ。
まったく違う文化、人、国の体制(当たり前か)。
まあこの国のほうが圧倒的に外国人にとって住みやすいんだと思う。


皮肉なもんで、あんなに愛した国ではやりたかったことが出来ず、
むしろ苦手であったこの場所で、それが叶いそうだなんて。

今年もまた、予想もつかないような出来事がたくさん起こるだろうな。