20101218

101218

ジェットコースターのような日々。
旅行で来た、ここシェムリアップ@カンボジアで
クメールシルク絣織りの復興をされている方の下で
勉強とお手伝いが出来ることになりそうだ。
これも縁と運と、友達の心のおかげで。
感謝してもしきれない。

あれだけラオでやりたくて出来なかったことが
友人の誘いでたまたま訪れたこの土地でさっくっとやってくるとは。
そんなわけで、ラオにも帰らずシェムリ滞在1週間が過ぎてしまった。
一時帰宅を1月正月明けにして、それまでここに居る。
ってわけで、来月はお隣カンボジアに引っ越します。

多分1年以上はここに居させて頂くことになる。
ここで学んだ事を、しっかり覚え、考えて
次のステップとして、ラオに戻って、自分で出来るように、
目標を持って動いていこうと思う。

生きてるって面白すぎる。

20101128

101128

空芯菜の花が庭中に咲いている。
美味しいのよね~。朝顔みたいな花。
週2,3は空芯菜炒めを食べてる笑。

来月は久々にバックパッカー気分で1ヶ月程パバンを離れる。
タイ、カンボジア、南ラオ。
各所でお友達に再会予定ですごく楽しみ。

20101115

101115


結婚式貧乏な最近。
さあさあ、オークパンサー明け。
これから結婚式ラッシュ。
週1ペースで招待状を持ってやってくる友人知人達よ。
ほんとに仲良いならいいんだけど、
誰でも彼でも呼ぶのはどうなんだ。
しかも貰ったらほぼ断れない感じ。
で、招待状をもらった人はその封筒にお金を入れて持っていく。
入れる金額はかなり幅があって親しい人には何十万キップって入れるみたいだけど、
個人的には普通5万でいいかなと思っている。
日本と一緒で、昼からやる結婚式=バーシーと、夜の披露宴の2部制。
相当親しい人以外は、夜の披露宴のみ行くことになる。
見栄っ張りのラオ人。
招待状、披露宴の規模、その家の財政や力具合が露見する。。
会場でもそんな噂話になってたりするからおっかない。
まあいいけどさ。めでたいことには変わりは無い。

20101024

101024


椰子の木のてっぺんに人が居るのが見えますか?
この人たちの職業は「椰子の実取り」
命綱も付けず、枝の無い椰子の木を
3階建ての家くらいの高さまで
手と足だけでするすると登っていく。
でもこの日はこの椰子の木を切り倒す日だった。
実を採って、葉を切り落とした後、
幹は6分割くらいに切られていった。
何でこの木を切っちゃったんだろう。

20101007

101007

日本を出て1年経った。
思ったようには全然行かなかったけど、
まあなんとか暮らせてることに感謝する。

ルアンにも秋の気配が漂う。
朝晩は本当に綺麗な青空で、日本の秋の空と似てる。
日中はさすがに超暑いけど。

というわけで、記念日なので一人で白ワインを飲んでお祝いしてます。
しあわせね。

20100929

100929


ワタシはバス運があまり良くない。

一昨日、ビエンからの帰りのバスは乗ったとたんに大雨と雷。
イヤーな予感はしていた。
案の定、朝4時に山道で止まった。
何かと思ったけど眠いし暗いので寝た。
朝6時、起きたらまだ止まっている。

目の前には車がすでに数台有り。
そう、雨季によくある土砂崩れで通れません。
そうこうする内にも続々とバスやトラック、乗用車が列を成していく。
夜20時にビエンを出てから13時間半が経過した9時半。(通常は10時間で着く)
ショベルカーは来る気配なし。
ラオ人たちはゴザとかひきだして寝たりしゃべったりなんか食ったりしている。
暇な時間の使い方は、この人たちに学ぶものがあるのかもしれないが。

でもワタシは帰りたいのよ。またここで朝までとか有り得ない。
決めた。歩いて泥を乗り越えて反対側でヒッチハイクすれば帰れる、はず。
旅は道連れ、話しかけてきたフランス人と一緒に歩くことにした。

しかし、甘かった。反対側に渡れたものの、帰る車は無し。
手前と同じようにみんなダラダラ過ごしてるだけ。
ワタシ達は歩いた。
雨は上がって、炎天下、山道を5時間近く、その間通った車は3台。
1台は満員、1台は中国人で邪険に追い払われた。。
最後の1台。ウドムサイに行くラオ人ファミリーで
快く乗せてくれた。本当にほんとうに、嬉しかった。
ありがとうございました。
無事ルアンに着いたのが16時半、うちにたどり着いた17時。
泥のように眠った。
そして翌日は筋肉痛で瀕死、ピクピクしていた。やっと今日復活。
当分バスは乗りたくない。

20100911

100911

猫と、半同棲している。別に飼っているわけではないんだけど。
暇人なワタシがたいがい家に居るもんだから、
やって来ては一日中うちで寝ている。
ワタシがご飯を食べるタイミングで
寄って来るのでまあ一緒に食べている。
オス猫で結構イケメンではある。
ワタシの彼いわく、この猫がワタシに惚れているんだそう。
彼は猫ともよくゃべっている。ラオ語で。。
なんだか良く分かんないけど、今日も平和に過ぎていく。

20100907

100907


うちの裏口を開けると、
目の前にはやしの木とバナナ畑。
青い空と、緑と、幸せだなあとふと思う瞬間。
明日は年1度のボートレースの日。
町中はピーマイまで行かないけどお祭り騒ぎ。
昼間からメインストリートには屋台や商店が軒を連ね、
外国人観光客と、地方から来たラオ人たちを魅了する。
娯楽が乏しい毎日、ワタシもこういう浮き足立った雰囲気は嬉しい。
会社もほとんどお休みで、早速昼からみんなでビヤラオが始まる。
ふわふわ。グダグダ。

20100826

100826

スキヤキを作ってみんなで食べた。
+菜の花スープとジェオ(唐辛子の激辛ミソ)
カオチャオ(普通の白米)が無かったので
カオニャオだったけど、十分おいしく、楽しめた。
ラオ人にも好評?だったかな。
やっぱり甘辛、という味覚には慣れていないらしく
辛みそを付けて食べていたのには笑った。
やっとまともに料理が出来る環境になったので
超嬉しく、毎日友人達と色々作ったり、
彼らの料理を習ったりして楽しく暮らしてる。
あーでもまたビザと仕事の大問題が残っているのよね~。。

20100823

100823


引越しをしました。
なかなか面白い、良いとこだったけど、
やっぱり水が余りにも汚すぎて無理だった。。
先日日本から来てくれた友人が病気になったのも
このせいだったのかも知れない。
ごめんね。
今度のアパートは広くて
寝室、キッチン、リビング有りという新築。
とりあえずこの数日は引越しで超疲れた。
でも快適になって、本当に良かった。
これでいつでも安心して遊びに来てもらえます。
友人知人の皆様、待ってます。

20100729

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この5日間ほど、LPQから更にメコン川を船でさかのぼること6,7時間
そこから徒歩で山越え、マジに川を数本越え、
2,3時間の場所にある村に居た。
naxaneというその村はルー族の村。彼の故郷。
ちょうどカオパンサー
(お寺の僧侶がこもって修行する期間の始まり)で
バーシーもするというので一緒に村に帰った。

その村は時が止まってしまっているかのような錯覚を受けた。
今までいろんな村に行ってきたけど、一番美しいと思った。
絵の中から抜け出したような村。
山に囲まれた豊かな水田、焼畑には豊富な野菜と米、
タマリンド、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、グアバ、マンゴー、バナナ、
たくさんの果物の木々。食べるものは自分達でまかなえる。
現金はほとんど使わない、ていうか買うものも無い。
携帯の電波も電気ももちろん無い。車やバイクも無い(要らない)。
LPQのワタシの村が何て現代なんだと思った。

村の言葉はルー語でワタシはほとんど分からないけど
ワタシにはラオ語で話してくれる。
本当に良く働く、優しい人達。

そんなわけでその美しい村で5日間
本当に素敵な時間を過ごさせてもらった。
ルアンの町で少し疲れてた心も身体も
本当にリラックスして休めた。

友達が来たら、是非一緒に行きたいと思う。
あの景色を、空気を一緒に感じて欲しいと切なく思った。

でも、そこに住めるか、という話は別。
彼が村に帰るのであれば、ワタシ達はよく話し合わなくてはいけない。
バーシーの儀式で祝福され、ワタシ達は白い糸で結ばれたけど
それはとても幸せなことだけれども、
結婚となると異国、異文化、異民族の違いは大きな大きな問題になる。

とはいえ、今はLPQで幸せに暮らせていることにまず感謝をする。

20100716

100716

酔っ払って、バイクで事故って顔面地面に打って、顔がはれ上がっている。
生きてて良かったけど。

今は韓国とオランダの夫婦が経営するカフェを手伝っている。
英語とラオ語の方が楽。
さてこれから、どうして行こうか。

こないだ友達4人で、滝に泳ぎに行った。
とても綺麗な水色の水。
滝つぼに飛び込んで、泳ぎまくって水掛け合って、死ぬほど笑った。

物事はとても単純になっている。
こんな日常が続いていくので、まいいか。

20100704

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外国人がこの国でひとりで生きてくのはなかなか骨が折れる。
ビザ、就労許可証の取得、
それから日々(人によって)変わる入国管理局のルールや警察の対応。
まあ平然と横行する「袖の下」。

うんざりすることが多々ある。

やっと見つけた食堂の仕事も辞めることにした。
これは日本人同士の問題だけど。
愛した国の大好きな町。
日本人が片手で数えられるくらいしか居ないこの町で
今まで生きてきた中で一番分かり合えない人と会う。
運命は皮肉だなあと思う。

とはいえ、今日も村は平和で仕事を辞めて時間がある(ユーララと言う)
ワタシを毎日村の友達達が遊びに連れて行ってくれる。
昨夜は食堂のラオ人スタッフ全員がうちに来て
貯めてたみんなのチップを使ってワタシの送別会?飲み会をしてくれた。
ほんとありがとう。
また仕事も探さないといけないけど平穏な気持ちと日々が戻った。

20100607

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水が合うとか合わないとか、日本語で言う。
うちの水は川の水。赤土を含んだ茶色くにごった水。
もちろん飲めない。
そしてワタシのちょっとした傷口はすぐ化膿して腫れ上がる。
免疫力。

生まれる前からこの川の水で生きてる村のみんなと
生まれる前からほぼ無菌状態だった日本人のワタシ。
やっぱり違うんだなあとつくづく思う。今は日本人。

この町に来る旅人達によく聞かれる。
「どうしてここに住んだのですか」。いつもうまく答えられない。
でも、ここ。
とてもとても暑くて、ビールの安いこの土地に暮らして、
物事がとっても単純になった。

朝、太陽が昇り、今日が始まって、
それなりに日常生活にやることはたくさんあって、
日が沈めば飲み、踊り、眠る。
多分、ワタシのちょっとしたケガはこれからも治り難いだろう。

20100604

100604

マンゴーの木から実が落ちてきて、屋根に穴が開いた。
隣の家の大きな木で、いつもひろって美味しく食べてたけども。。
そして雨季の雨は容赦なく続く。
修理は待てど暮らせどやってこない。浸水しそうな我が家。

20100523

100523

ホタルと一緒に暮らしている。

昨夜、部屋で。
おしりの赤い小さな虫が本の上に来たので、
手で払ったらお尻が黄色に光った。
え?なんだと思って電気消したらやっぱり光ってる。
ほんとにちいさなあかり。

外を見たら村のそこここが光っている。
メコンにホタルも住むんだね。

停電の夜は綺麗。

20100510

100510

犬の悲しみのこと。
大家さんの飼い犬2匹(母と息子)、ママの方が3日前いなくなった。
いつもワタシが帰ると「なでてー」って寄ってきて
一緒に遊びながら、ワタシの今日の1日を聞いてくれてた(勝手にワタシが話してるだけ)。
ここ数日見ないなーと思ってたら、今朝大家さんが「誰かが食べた」って泣いてた。
放し飼いするならお願い首輪して。。そういう国なんだから。
ママがいなくなったのは悲しいけれど、
なによりもつらいのは残された息子を見ること。
3日間ご飯を食べない。呆然と横になって遠くを見てる。
ワタシ達が近寄ると心持ち、しっぽをパタパタさせるけど悲しい眼のまま。切ない。

亡くなったスモーキーとキャンディのことを思い出す。
家族以外の初めての友達だった。
ワタシがどんなに実家にいなくても覚えてくれてた。
ガンで歩けなくなった姿を見て、ワタシが泣いてると
動かない身体を起こして一生懸命なめてくれようとしたスモーキーの最後。
2年ぶりに実家に帰った次の日に旅立ったキャンディ。

でも見送ることが出来たことは幸いね。
残される方がつらいから。

生きとし生けるものが幸せでありますように。今日も祈る。

20100423

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最近、80~90年代の日本のロックを最近聞いている。

日々、村ではタイの妙なポップスとラオの歌謡曲を聞いているが
どうしてもこれだけは心地いいと思えない。
EX.)プサーオ、プサーオ(彼女、あー彼女)と粘っこく連呼するとかね。。
しかもスピーカー外向けて爆音でかける。
(スピーカーやカラオケセットを持っている、その誇示が今のラオのステイタスなわけ)

げんなりするワタシに友人がデータをくれた。
ギター好きな彼はうちの叔父も大好きらしい笑で
持っているのはまさに王道のロック。
サディステッィック ミカ バンド、ソウルフラワー等々。
もともと嫌いじゃなかったけど、日本語の歌詞(韻)や
まともなギターに耳がほっとしている。

あーなんかジャパレゲも聞きたいなあ。。
次来る友人の方々。音源を何かなんでもいいので持ってきてちょうだいな~

20100412

100412

気温が40度を超える日々が続いている。
町中ではピーマイの水掛合戦が繰り広げられている。
通勤で頭からずぶ濡れ。チャリに乗ってて、いきなりバケツでぶっかけられても怒ってはいけない。
ありがとう!ソークディー(幸運を)!と笑顔でかわさなくてはいけないのだ。
携帯はビニールにグルグル巻き。

でもこれに水を使うもんだから、町の「水道のある」家は断水状態。
トイレも流れず、全自動洗濯機に川の水を運んでいるという。
その点、川の水のくみ上げている水道の無い我が村は問題なく。
じゃばじゃば茶色い水を浴びている。へへ。

出来ればピーマイは恐ろしいので村に引きこもりたいけど
レストランは予約で満員。そりゃそうだ。
ラオ人シェフがキチンと来てくれることを仏陀に祈るばかり。
おとといはおとといでワンシンで早起きしたから遅刻します、という。。

ゆーららと暮らしたり、遊んだりするには、とても楽しいけど
仕事をする、となるとこの民族性の様々な問題も見えてくる今日この頃。

20100409

100409

ラオスにはゲイやオカマちゃんが多い。

まあ何を基準に多いと言えるのかは不確かだけど。
17,8才の超かわいい男の子から、お腹の出たおじさんまで。

そしてちゃんと市民権も得ている。村でも街でも普通に生活してるし、むしろ愛されているという感じ。

もちろん日本と同じように明るくて、あっけらかんとしている。

ワタシの知っている村で一番の織り子は、レディーボーイ。太い指で器用に繊細な織りを綴っていく。

街では、観光客に交じって彼ら目当ての西洋人も目に付く。

かわいい小柄な男の子が、でっかいおじさん西洋人と寄り添っているのを見たり、

朝のカフェで、口紅が剥げかけたままの子が眠そうにウエイターしてたりすると

やっぱりちょっとやるせない気持ちになる。

ワタシの住む村、学生達の中で飛びぬけて綺麗な顔の男の子。

ワタシのお気に入り(笑。まあしぐさが女々しいとは思っていたけど、

こないだ話してたら「ボクは女の子は愛せないんだよね。

でも女の子はかわいいから友達になれる」だそう。

※ワタシはuai-ゥアイ、つまりオネエと呼ばれているだけ。

もったいない。。世の矛盾を嘆いてみても仕方ないけど、

嘆かわしい。それでも彼ら(彼女ら)の幸せを祈る。

20100402

100402


ルアンに来て2ヶ月ほど。

何とか街の食堂で仕事が見つかりそう。

半年が経って、やっと居続けることが現実味を帯びてきた。

まじに明日も見えない生活。 しかしまだまだ安心は出来ない。

この国では村長さんの一言で、外国人は国外退去になるという。

ほんとお願いします。祈るばかり。村はやっぱり電気は来たり来なかったりを繰り返し。
基本的にはロウソクで暮らしている。水道は無いから川の水のくみ上げ、
雨が降ると茶色くにごり、白いタオルは日に日に生成り色になっていく。
その水で水浴び、歯磨き、洗濯からトイレの流し、全部一緒。

結構人間て丈夫に出来ているんだなあとふと思うことがある。

デング熱もマラリアもやったけど、病気はほんと怖い。
もちろん保険なんて無いし、高くつく病院もまた信用できない。
意味の分からないお腹壊しは慣れてしまった。笑
まあ、何とか暮らしていけそうで少しほっとしている。

写真はアパートの部屋。

20100325

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昨日は朝から外が騒がしいと思っていたら。
昼の11時過ぎ、村の商店のアーイが来て、みんなでビール飲むよって言う。

外に出たら、向かいの家が新築完成し、子供も生まれたということで、
パーティを開いていた。盛大。生バンドとカラオケ有りの結構な規模。
料理は、カオプン(ココナツスープのピリ辛そうめん)とラープ(ひき肉サラダ)と
ヤムサラット(生野菜と香草、ゆで卵、トマト、サウザンソースに似たドレッシングのサラダ)
もちろんビヤラオ飲み放題。

そんなこんなで昨日は飲みっぱなし。
でも確か水曜日、平日のまっ昼間に、老若男女、
近隣の村からも含め、多分100人位が飲み踊る。
でもって学生達は散々ビール飲んでから
さくっと午後の授業に行くとさ。不思議な社会。

そういえばお肉とお魚を食べなくなって2ヶ月くらい経つ。
ただ要らないなと思っただけ。10代後半から23くらいまで、
同じ状況だったけど、また必要なくなったようだ。
でもワタシ、多分だけど、こういう時期の方が草食系とは程遠い、
かなりストイックな状態だってことを思い出したりしてる。

ピーマイの準備で街中が浮き足立っている。

20100319

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乾季が終わろうとしている。
朝晩の短い雷雨と不思議な色の夕焼け。

シェンレックに通うことを止めた。
オーナーである彼女と感覚が、やり方が違っていた。
彼女を、そのデザインを感性をリスペクトしている事に変わりは無いけど
一緒には作業を出来ないっていう結論に達しただけ。
2人で話し合って決めた。
彼女とはワタシが自分のやり方で出来るようになったとき、
また会う気がする。これもいい経験。

正直、あまり余裕がなくなってきたけど、また自分の道を探す。
まあ住む家があるだけでも心強い。
新築だったワタシのアパートにもやっとヤモリが住み着いた。
そしてさっき鳴いていた。嬉しい。
ラオではヤモリが家に住んで、鳴くと更に幸運だと信じられている。

村での生活は良好。
水が来ない日にはバイクに乗ってカーン川へ水浴びに行き
大家さんや村の人達とご飯を食べ、ビヤラオを酌み交わす日々。
ラオ語もだいぶ分かるようになってきた。まだまだ苦労してるけど。
こうして過ぎていく日々はとても緩やかで、暖かい。

4月のソンクラン前にタイから友人が来る。
タイ在住20年の姉さんは大好きな友達の一人。
今バンコクはまた政情に不穏な感じがあるが、大丈夫だろうか。

20100304

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ラオにきてから半年が経って、あっけなく、30歳になった。
今年の2月28日は満月で、ワンシン(仏陀の日)。
寺で祈り、住んでる村ではみんなが祝福をしてくれた。嬉しかった。

ルアンパパンに来て2週間。
家はナサンウェイという村。大学の近くで村の8割は地方からの学生。
アパートにはお湯は無いけど、水瓶に溜めた水で風呂や洗濯その他全てまかなえる。
家賃は年間250ドル。

毎日、朝はメコンの朝日、帰りは夕陽を横目に自転車で30分のシェンレック村へ通っている。
工房での仕事は染色、紡ぎ、織り、販売、手伝いながら学んでいる。
やっとやりたいことが出来るようになった。まだまだ問題もたくさんあるけど、普通に暮らしている。

ターダム(工房のオーナー)にも出会うべくして出会ったんだなと思う。
彼女に初めて会った時、この人好きだなって直感で思った。
同い年だけどメチャメチャはっきりしっかりしていてラオ人じゃないみたい。
ドイツに留学もしていて英語は超流暢に話すし
まさかの、ラオ料理が食べられない。
まじに。辛いものや香草を食べるとおなか壊して寝込む。。
彼氏はドイツ人で、彼女を追っかけてラオに移住してしまった。
この人もいい奴で、私たちは外人永住組として何かと助け合っている。

ワタシはそのうち工房に住むと思うけど
ラオでは外国人がラオ人の家に泊まることは違法。
村長の許可を取ったり、警察に届けたりしなくてはいけないので道は遠い。
まああせらず。気長に。

日本を寂しく思わないかっていろんな人に言われるけど、それはない。
でも、日本語はね、話したいし、聞きたいと切に思う。my nationality
日々、ギャラリーと工房に来る客とは英語。通常の生活はラオ語。
ラオ語と英語で夢を見て、起きてから日本語で考える。

明日から10日ばかり、ヴィエン経由南部のサラワンへ行く。
JICAの対象村を見学させてもらえることになった。

夢が少しずつ現実になっていく。ありがとう。

20100216

090216

久々に写真が手に入った。
ボーケオのフェイサイの村からソンテオで帰るワタシ。
写真ありがとう。

このソンテオがこの後、地獄の道をたどることになるとは。
同乗していたのはラオラオを瓶でラッパ飲みのカム族の労働者。
タバコ(?)と民族の歌大合唱の中、山道を恐ろしく
のろいスピードで町へ向かうのでした。

そう。サムヌアに戻った。明日、ルアンパパンに発つ。
郊外の村の工房で織物しながら、働けることになった。
本当に縁と出会いに感謝してもしきれない。
これから返していけるように。

20100212

100212

今ルアンプラバン。
美しい、観光化された古都と、悠久のメコンの街。

今月の移動距離はハンパない。
縁と出会いに支えられ導かれ、まだまだ流浪。
サムヌア~ルアン~フェイサイ~チェンコン(タイ)~ウドムサイ~ルアン
週明けにはポンサワン。
でもサムヌアに、帰るといえる場所があることにほっとする。

20100114

140110

この数日。異常な寒さが続く。
標高1200メートルのここサムヌア。
3日間15度以上に気温が上がっていない。朝晩は10度のときも。

窓があっても閉まらない、隙間風だらけのラオスの家は
部屋の中も外気と変わらず。
ドアの無い家もあるし、有っても閉める習慣は無いから
まさに外。暖房器具はもちろんなし。

こんな日はどの家々も、家族で居間に集まり、
カオニャオを炊く練炭を囲み、一日おしゃべりして過ごす。
(外気吹き抜けだから自殺しちゃう可能性は有りません)

で6時過ぎに陽が落ち真っ暗になる頃、
ラオラオ(ラオス酒45度以上)をまわし飲み始め
流行の音楽が大音量でかかり出し、踊ることになる。
っていっても歌謡曲的なリズムにただ立ってゆらゆらするだけ。
いとしすぎる。

ここにちょっとずつ慣れていく。
ここの人々の暮らし、考え方、価値観、コミュニティ主義のこと
まだまだだけど、こうして日がな一日一緒にいて、
もっと分かりたいと思う。
言葉や暮らしというのはそのあとをついてくるのかな。
気候とは逆に、穏やかな気持ちで暮らしている。

3ヶ月、この時点で振り返っただけで
言葉にできない思い、数々の出来事、いろんな人。
嫌なこともされる、理不尽な扱いも、差別も、誤解も、うそも、
数えたくないくらいある。
それでも一方でこの国に、この人達に助けられ、
愛されて、救われたことも数知れない。

そう、好きだけでは暮らせないことは良く分かった。
でも、まず好きでなければ暮らしていけない。
そしてやっぱりワタシここが好きだ。
今、ここにこれたこれまですべてのことも、
全部含めて好きだって言えるようになった。

これからも、ここで1人の外人、そして日本人として生きていきたい。

20100105

100105

サバイディー ピーマイ

年末年始は日本から来てくれた友人とポンサワンで飲んだくれ。
久々に日本酒や温泉や、日本語の毒舌トーク。楽しかったね!

ちょっと落ち着いた@サムヌア山間の静かな町。
今年も少しづつね、前向いて歩いていきます。